第一次世界大戦が終結しなかった世界線の歴史wikiです。

ソ波条約
会話をするリトヴィノフらソビエト官僚
詳細情報
締結1919年11月16日
締約ロシア社会主義連邦ソビエト共和国?ポーランド王国
関連東方戦争
代表ソ : マクシム・リトヴィノフ、波 :ズジスワフ・ルボミルスキ
場所ブラスラフ?
影響リガ条約の締結
 リトヴィノフ=ルボミルスキ協定とは東方戦争でのロシア社会主義連邦ソビエト共和国?ポーランド王国の間の単独講和を含む、両国間の約条を指す協定文書。その特性からモスクワ=ワルシャワ枢軸、ソ波協栄条約とも呼ばれる

背景

 1919年秋ボリシェヴィキはブレストの戦い?に敗北し、遅滞戦術を前提とした防衛戦略は根本から瓦解し、陸軍の反攻計画は破綻した。すでにソビエトの敗戦は決定的であり、スターリン?を始め、エゴロフ?トロツキー?ブジョーンヌイ?カーメネフ?など名だたる閣僚が一刻でも早い講和を支持した。しかしソビエトの代表たるレーニン?は、冬季に組織的な反攻を行う計画を軍部に指示して講和を否定した。

 外務人民委員のゲオルギー・チチェーリン?も戦争継続は現実的ではなく講和を今すぐにでも始めるべきと考えた。チチェーリンは秘密裏に部下のマクシム・リトヴィノフ?を講和交渉の会議に向かわせた。1回目の交渉では主に休戦または停戦の可能性について同盟側が示唆した。しかし休戦の条件として、ヴォルゴグラードやスモレンスクの駐屯を要求したオーストリア側の提案はリトヴィノフにとっては受け入れられず、大した功績もあげれないまま交渉は終わった。

 そんな中ポーランド軍は10月12日に第二次ミンスクの戦い?に勝利してミンスクを解放した。ついにレーニンはこれ以上の戦闘の無意味さを痛感して、外務人民委員に休戦交渉を指示、10月25日にナルバ停戦協定?を締結した。

 一方でこの頃のポーランドはヴィリニュス問題でバルト、ひいてはオーストリアと対立しており、リトヴィノフはこの関係をなんとか利用できないかと模索した。ポーランドも戦争後の国境案でオーストリアと対立しており、ソビエトと一足先に講和することで有利な戦後を作り出そうと模索していた。そこでポーランド外務卿ズジスワフ・ルボミルスキはリトヴィノフと、ブラスラフで秘密会談を行った。

ブラスラフ講和交渉

 東欧からオーストリア勢力を排除し、バルト海への接続を狙うポーランドと、戦線の大部分を担うポーランド軍と単独講和し、良い条件で講和を行いたいソビエトでは利害が一致しており、僅か3日の会談で両者は講和に合意した。こうして11月16日にリトヴィノフとルボミルスキの間で講和条約が締結されたのである。

内容

第一次協定

 両者の最初の書簡は第一に単独和平、第二にポーランド、ソビエトの国境を定めた。以下条文
  • 第一条
 ソ波両国は、相互にいかなる武力行使・侵略行為・攻撃をも行なわない。
  • 第二条
 ソ波両国政府は、共同の利益にかかわる諸問題について、将来互いに情報交換を行なうため協議を続ける。
  • 第三条
 ソ波両国は全ての戦闘行為を終結させ、捕虜を交換する。
  • 第四条
 ポーランド政府はキエフの戦い以降に、ホフマン=レーニンラインに基づく国境線を越えて得たいかなる領土、主権をソビエト政府に返還する。
  • 第五条
 条約の有効期間は10年。一方が有効期間終了の1年前に破棄通告をしなければ5年間の自動延長となる。

第二次協定(秘密条項)

 以下の条項は前項までの協定に付随する形で秘密協定として交わされた。また七条と八条で定められたソビエトとポーランドの境界線は、協定が交わされた場所からブラスラフ線と呼ばれた。
  • 第六条
 ポーランド政府はホフマン=レーニンラインに基づくソビエト・バルト間の国境を支持する。
  • 第七条
 ソ波両政府はホフマン=レーニンラインに基づくソビエト・ベラルーシ間の国境を支持せず、カーゾン線の東方200kmを境界線として、ソビエト政府は西側におけるポーランド政府の権益を承認し、ポーランド政府は東側におけるソビエト政府の権益を承認する。
  • 第八条
 ソ波両政府はホフマン=レーニンラインに基づくソビエト・ウクライナ間の国境を支持せず、カーゾン線の東方200kmを境界線として、ソビエト政府は西側におけるポーランド政府の権益を承認し、ポーランド政府は東側におけるソビエト政府の権益を承認する。
  • 第九条
 ソビエト政府はカーゾン線?以西におけるポーランドの主権的・民族的権益を支持し、絶対圏としてこれを侵さない。
  • 第十条
 ソビエト政府はポーランド政府の承認なしにはバルト連合王国における主権を侵害しない。

影響

 オーストリアはポーランドの不穏な動きを察知し、スパイを派遣していたが、ポーランドとソビエトの単独和平を事前に知ることができず講和の阻止に失敗した。協定の締結を知ったカール1世は「ポーランドの野心は留まることのない無限なものであり、民族主義の異様な高揚は再び大戦を引き起こしかねない」と危惧し、ポーランド政府に強く抗議した。

 ポーランドの戦線離脱によって前線は維持すらままならない事態におちいり、赤軍が攻勢をかければ同盟軍は大敗を喫する可能性が高まった。ポーランドの外交戦略によってオーストリアは東欧政策に支障を来す結果となり、オーストリアはソビエトとの講和を余儀なくされた。ポーランドを除く戦争参加国は1920年1月18日にリガ条約を締結した。

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