ロシア内戦 | |||
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チェリャビンスク事件で蜂起するチェコ軍団 | |||
詳細情報 | |||
戦争 | ロシア内戦 | ||
年月 | 1917年1月7日〜 | ||
場所 | ロシア、東欧、中央アジア、カフカース、極東 | ||
影響 | シベリア出兵?、ドイツ革命、シチリア革命、ヴェルサイユ革命、東京維新 | ||
ロシア内戦 | |||
2月革命?〜7月蜂起?〜8月クーデター?〜10月革命?〜ペトログラード布告?〜ブレスト=リトフスク条約〜チェリャビンスク事件〜シベリア出兵?〜エカテリンブルク急襲?〜8月革命?〜黒赤事件?〜11月革命? |
ロシア内戦(英: Russian Civil War)は第一次世界大戦の後期に発生したロシア革命を機にロシア全土に広がった戦争。初期の内戦は共産主義の赤軍と反赤軍の白軍の対立構造だったが、チェコ軍団の反白軍運動、コルチャークら全ロシア臨時政府(黄軍)の反白軍蜂起、無政府主義者ら黒軍の反赤軍反乱、緑軍の反紅白運動によって事態は拡大する一方であった。
共産主義者勢力はソビエトを主体としているがソ連共産党がその実権を握っている。4月テーゼは多くの労働者に支持され10月革命後、メンシェヴィキ追放をもってレーニン率いる共産党が政権を奪取した。しかしブレスト=リトフスク条約の締結によって国土を失ったことで、支持は急速に失われ、特にウラル以東ではメンシェヴィキ支持が増えたためロシア内戦を防ぐことに失敗した。全てのメンシェヴィキ勢力に敵対しており、1919年からは緑軍や黒軍の排除に乗り出している。
- ロシア社会主義ソビエト連邦共和国
- ウクライナ社会主義ソビエト人民共和国
- 白ロシア社会主義ソビエト共和国
- リトアニア・ソビエト社会主義共和国
- 西ウクライナ人民共和国
- オデッサ・ソビエト共和国
- カザフ・ソビエト社会主義共和国
- トルクメン・ソビエト社会主義共和国
- ホラズム人民ソビエト共和国
- ブハラ人民ソビエト共和国
- トルキスタン自治ソビエト社会主義共和国
- ドン・ソビエト共和国
- モンゴル人民共和国
- 黒海ソビエト共和国
- クバーニ・ソビエト共和国
- テルク・ソビエト共和国
- スタヴロポリ・ソビエト共和国
- 北カフカース・ソビエト共和国
- トゥヴァ人民共和国
- ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国
- バクー・コミューン
10月革命によってロシア臨時政府は追放され後継政府は全ロシア臨時政府に移された。全ロシア政府は中部のオムスクに拠点をおいたが1918年6月のエカテリンブルク急襲の影響で発生した8月革命、1918年11月にコルチャークに起こされた11月革命によって、白軍左派と呼ばれる政治家は全ロシア臨時政府をも追放され、その版図を大きく減らした。その後追放されたメンシェヴィキは極東シベリアにてロシア連邦共和国を建国した。また10月革命の後西部に落ちのびたケレンスキーはウクライナや北カフカース地方を主導し、中央同盟国の支援を受けながらも反赤黒緑活動を続けている。
- ロシア臨時政府(ロシア連邦共和国)
- アラシュ・トルキスタン共和国
- モンゴル国
- モルドバ民主共和国
- クバーニ人民共和国
- クリミア人民共和国
- ドン全大軍
- トルキスタン独立共和国
- ブハラ・ハン国
- ヒヴァ・ハン国
- ウクライナ白軍
- 北カフカース山岳共和国
- 北カフカース首長国
- ザカフカース民主連邦共和国
- グルジア民主共和国
- アルメニア民主共和国
- アゼルバイジャン民主共和国
- 山岳アルメニア独立民主共和国
- カスピ海艦隊中央委員会独裁政権
メンシェヴィキ右派は11月革命で全ロシア臨時政府内からメンシェヴィキ左派、いわゆる『白軍』を追放した。コルチャークは苦境に立たされているがオムスクを死守している。近年ではバスマチ運動を白軍より支援していることにより、中央アジアのメンシェヴィキ諸国と関係を築いている。
無政府主義者で集まる黒軍はウクライナを中心にウクライナ革命蜂起軍として革命運動を行っている。黒軍は親赤軍であったが、赤軍(特にトロツキスト)は黒赤事件で黒軍に対して反革命の追討令を宣言したため、全ての対抗勢力と敵対している。
ドイツはブレスト=リトフスク条約締結後に東部戦線を終結させて西部戦線に移動したため中央同盟国は初期の段階ではロシア内線に介入しなかった。しかし1919年になるとドイツ帝国がドイツ革命によって崩壊したため中央同盟国の衛星国である東欧諸国は赤軍に侵攻された。リトアニアでは国土の大半がリトアニア・ソビエトに占領され、ポーランドは首都近くのヴィスワ川まで後退した。こうした中央同盟国は個々の道に進むことも出来ず団結して立ち向かうこととなった。フィンランドも内戦を契機に賛成するようになった。20年に入るとこれらの諸国にはオーストリア帝国の軍隊が支援するようになり「ヴィスワ川の奇跡」と呼ばれる反抗で赤軍を押し返した。
チェリャビンスク事件を機に列強諸国は社会主義国の誕生を阻止するために8月からシベリア出兵を行った。これらの軍は初め、白軍の支援を目的に出兵したが8月革命の発生でチェコ軍団救出という名目に対して破綻した。多くの国では世論が分かれ、さらに11月革命が起きると諸国は干渉国どうしで争うことを辞めるために撤退を干渉軍会議で決定して、ほとんどの軍はシベリアから撤退した。しかし一番ソ連の脅威に晒されていた日本は干渉軍会議の決定を無視して干渉を白軍支援で続けた。結果的にこれは東京維新を招いてしまったが、分裂後でも大日本帝国側(南軍)は白軍を、大和皇国側(北軍)は青軍を支援した。
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