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バルト連合王国
国旗最大領土
?1919年
基礎情報
国名バルト同君連合
国王アドルフ・フリードリヒ?
大統領カールリス・ウルマニス?
王朝メクレンブルク朝
建国1919年
首都タリン、リガ、カウナス
最大面積175,015km2
最大人口500万人
与党バルト連合党?
体制リガ体制
バルト連合王国は1919年リガ会議によって成立した連合国家。ドイツの衛星国の一つである。

前史

 1917年ロシアはブレスト=リトフスク条約を締結すると、バルト地方やベラルーシ、ウクライナを失った。バルト地方にはその頃バルト連合公国?クールラント・ゼムガレン公国?リトアニア王国が存在していた。ドイツ軍の撤退後すぐにソビエトがウクライナを侵攻すると、バルト地方にも赤軍の手が及んだ。東方戦争で各国が各個撃破され東欧が再びロシアの勢力圏に組み込まれることを危惧したオーストリアは、東欧諸国を招集して同盟を結ばせた。

 しかし成立直後の各国の歩調を合わせるのは困難であり、主にポーランドとオーストリアは対立した。オーストリアはミンダウガス事件と呼ばれる政治工作でバルト地方はアドルフ・フリードリヒを君主とする連合国家として統合された。統合後の選挙で農民連合?カールリス・ウルマニス?が大統領となった。

歴史

 連合王国はオーストリアの強い意向によって建国された過去から、常に民族間の対立が大きな問題であった。故にエストニア(リヴォニア)、ラトビア、リトアニアの民族間問題は政局を動かす上で重要だった。カールリス・ウルマニスは混乱を抑えるため半ば独裁的な権力を握った。独自の立法府サエイマ?を創設したカールリスは、近衛師団を組織して立法府を意のままに動かした。駐留ドイツ軍との対立にもカールリスは自身の軍隊を用いて圧力をかけ結果的にバルトからドイツ軍を一掃した。

 しかしカールリスが権力を掌握する頃には既に赤軍がベラルーシを突破、ヴィリニュスの戦い?でポーランド・バルト同盟軍を撃破していた。戦況の悪化は支持層の軟弱化を招き、リトアニアは赤軍が送り込んだ指導者によって独立し、リトアニア=白ロシア・ソビエト社会主義共和国?を形成した。赤軍が優勢に戦争を進める中ルードルフス・バンゲルスキス?率いるバルト軍はレゼクネの戦い?アレクサンドル・エゴロフ?の赤軍を撃退した。レゼクネ以降バルト軍は小規模ながらも逆侵攻を開始した。20年夏場になると北部方面はペトログラード?まで50kmまで迫った。バルト軍が反攻に転じる中ポーランド軍もワルシャワの戦い以降赤軍を撃退した。

 東方戦争がソビエトの敗戦で終結してリガ条約が締結されると、バルト連合王国は新たな領土を得ることはなかったが、旧ロシアバルチック艦隊の多くを引き継いだ。
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