モルダヴィア社会主義人民共和国 | |
---|---|
国旗 | 最大領土 |
濃緑:実効支配地域、薄緑:係争地(トランスニストリア、ワラキア) | |
←?1919年 | |
基礎情報 | |
国名 | モルダヴィア社会主義人民共和国 |
国王 | クリメント・ヴォロシーロフ |
建国 | 1918年1月1日 |
首都 | ヤシ |
最大面積 | 65,000km2 |
最大人口 | 940万人 |
与党 | モルダヴィア共産党? |
体制 | 三国体制? |
第一次世界大戦中期、 ルーマニア王国は連合国?側での参戦に至り、 ルーマニア戦線は短期で決着した。1917年10月になるとルーマニア北方のロシアではボリシェヴィキが蜂起し、十月革命?が発生した。12月9日にフォクシャニ休戦協定が締結。武装解除はされたが、民衆はルーマニア政府の弱腰対応を批判した。16日にモルドバで白軍が蜂起したことをきっかけにルーマニアでは革命の兆しが急増した。ソビエトから派遣されたクリメント・ヴォロシーロフにより19日、ロマン革命が発生。20日に臨時首都ヤシが陥落。また23日にブルラド事件が発生して国王フェルディナンド1世が暗殺された。勢いのままにモルダヴィア赤軍はモルダヴィア地方を占領し、1918年1月1日にヤシでモルダヴィア社会主義人民共和国の建国が宣言された。
コメントをかく