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ブルラド事件
基本情報
場所ルーマニア/ブルラド
日時1917年12月23日
対象フェルディナンド1世?
指導者不明
犯人モルダヴィア赤軍?
結果フェルディナンド1世?の暗殺
影響セゲド条約の締結
ブルラド事件とは1917年12月23日に、東部ルーマニアのブルラドにてロマン革命蜂起軍?によってルーマニア国王フェルディナンド1世が暗殺された事件。

経緯

1917年12月21日にロマン革命期、首都ヤシは革命派によって陥落した。21日の夜にフェルディナンド1世はヤシを23人の近衛兵と共に脱出した。22日未明に一行はブルラドに到着した。そのころブルラドにはまだ革命の余波は広がってはいなかったものの国王フェルディナンド一世は酷く不安に感じた。王はある市民の小屋を間借りしその場で食事をとった。23日午前1時、革命派の市民がフェルディナンド1世に押し寄せた。小屋の主人は初めから革命派で、密告が行われていたとされる。フェルディナンド1世は1時16分に武装民衆によって銃殺された。近衛兵は8人逃亡に成功したが、残りの15人は革命派の部隊によって殺害された。国王の遺体はブルラド郊外の荒野に無惨に捨てられ3日後に警察隊によって発見された。

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