第一次世界大戦が終結しなかった世界線の歴史wikiです。

イギリス及び日本国並びにセルビア王国とフランス第四共和政間における休戦協定
協定を交わすピエール・ラヴァル仏外相とカーゾン卿
詳細情報
締結1919年7月9日
関連ヴェルサイユ革命
締約国フランス第四共和政、イギリス、日本国、セルビア王国
場所ボルドー?
結果第一次世界大戦における西部戦線?の終結
アキテーヌ休戦協定とは第一次世界大戦中に発生したヴェルサイユ革命で建国されたフランス第四共和政率いる新政府側と第三共和政率いる旧体制側との内戦にイギリスなどを除く連合国の干渉を終了するという内容の協定である。これにより事実上同盟国と連合国の争う西部戦線は消滅した。

経過

 第一次世界大戦、主だった東部戦線、中東戦線、バルカン戦線が1919年までに終結し、1918年11月にコンピエーニュ休戦協定?が締結されたことによって西部戦線も一旦は終結した。さらに1月にはドイツやフランスの戦線離脱が現実味をまして、交戦理由が消滅しつつあった。ついに1月7日、フランスでヴェルサイユ革命が勃発したことによって第一次世界大戦は事実上、すべての戦線が消滅した。
 既にロシア革命への干渉に失敗していた連合国はフランスをも失えば講和会議では同盟国に対して不利な条件での講和になってしまう可能性があり、更に自国に革命が広がる恐れもあった。そこでイギリスのロイド・ジョージ首相はフランスを連合国から追い出すことで連合国のフランス干渉を完全に否定することにした。これはギリシャ内戦干渉という前例があったため、革命側の市民が連合国が干渉すると思い込んでいたためであった。ところがフランスを完全に見捨てるイギリスの案は国際連盟の結成を模索しており、かつ日英同盟に対して不信感を抱いていたアメリカとの対立を引き起こした。既にロンドンに亡命していたセルビア政府はイギリスの圧力に屈してイギリス案を支持。日英同盟やイギリスとの秘密条約を結んでいた日本もイギリスを支持したことでアメリカは渋々この案を飲み込んだ。こうして1月19日、連合国はフランス第三共和国を除名し、第一次世界大戦のもともとの協商は完全に消滅した。フランス第三共和国を連合国から除名したことでフランスのポアンカレ大統領はボルドーで開かれた連合国会議で
我々を見捨てることで
未来永劫君たちは
後悔することになるだろう
と紛糾した。
 フランスの連合国除名に伴い、連合国は司令部の移動とその安全のためとフランス西岸は占領し、イギリスは独自にブルターニュ半島を含むノルマンディー地方を占領した。後にブルターニュ公国を設立。一方革命側では、20日にフランスのクレマンソー首相が離反してジャック・ドリオらと協力して反革命が起きた。こうしてフランス・コミューン?は瓦解して、フランス第四共和政が成立した。ジャック・ドリオは反革命の復古共和政宣言の中で、連合国との無条件講和を望んでいることを明かし、イギリスは絶好の機会と考えてこれを了承する姿勢で望んだ。しかし先の除名で対立しつつあったアメリカは連合国から脱退して新たに国際連盟]]を設立した。名前とは反して初期の加盟国はアメリカとノルウェーだけであった。アメリカとフランスが連合国から消えたことで連合国は実質イギリスと日本のみとなった。日本はイギリスとの同盟を優先して第四共和政との休戦協定締結を支持し、6月16日にイギリス、日本、セルビア、フランスの外交官が連合国占領下のボルドーで会議を開いた。[[ボルドー会議?ではフランスのドリオ首相の無条件講和が主軸として進行されたことでイギリスはこれを逆手にとってブルターニュ半島の租借を認めさせた。この事でドリオ首相は主導権を失い、結局ブルターニュ半島の租借を条件として休戦協定が締結された。

影響

 ボルドー会談で一方的にブルターニュ半島がイギリスの租借地となったことによってドリオ首相は少なからず民衆から支持を失った。これが原因でフランス内戦は想定よりも泥沼の戦争へとなってしまいフランスの長期分裂を引き起こした。現在もフランスは統一されずコルシカ島やアフリカ植民地にフランス第三共和政が残存している。

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

Menu

メニューサンプル1

メニューサンプル2

開くメニュー

閉じるメニュー

  • アイテム
  • アイテム
  • アイテム
【メニュー編集】

メンバーのみ編集できます