イギリス租借領ブルターニュ公国 | |
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国旗 | 最大領土 |
←?1919年7月13日 | |
基礎情報 | |
国名 | ブルターニュ公国 |
公 | ジョージ5世 |
首相 | ジョージ・カーゾン |
建国 | 1919年 |
首都 | レンヌ |
最大面積 | 27,208km2 |
最大人口 | 200万人 |
与党 | 保守党? |
体制 | アキテーヌ体制? |
第一次世界大戦末期、1919年1月7日、戦争継続を主張する市民らによってヴェルサイユ宮殿襲撃事件?が起きてヴェルサイユ革命が勃発した。何とかパリから逃亡したポアンカレ大統領は南部のリヨンに中枢機能を移動させた。19日にイギリスは連合国軍総司令部を西部のボルドーに移した上で会議を行いポアンカレのフランスを連合国より追い出した。これに対してイギリス軍は当初から画策していたエドワード作戦を発令してブルターニュ半島とノルマンディー地方を占領した。少し遅れて連合国軍もアキテーヌに進駐した。こうした中、革命派のリーダー、レオン・ブルムはジャック・ドリオとの政争に敗れ不審死を遂げた。20日に、クレマンソー首相が離反したことを知ったポアンカレ大統領はクレマンソーの全勲章を剥奪し、内閣から除名した。この時ポアンカレ大統領はイギリスや日本に支援を求めたがどちらも聞く耳を持たれなかった。しかしアメリカはイギリスに秘密裏にトゥールーズで会談を行い、アメリカも連合国脱退を決めた。25日、人民党を解散してフランス労働者党を結党したジャック・ドリオはヴェルサイユ宮殿で復古共和政宣言?を行い連合国に対して無条件講和を求めた。このことをきっかけにアメリカは連合国脱退に踏み切って、新たな陣営である国際連盟を設立した。当初フランス第三共和国の加盟が行われる予定であったが上院議会で否決されたため結局、ノルウェーとスウェーデンのみの加盟となった。アメリカが抜けたことにより連合国はほぼ意味をなさなくなった。連合国軍総司令部はイギリス軍大陸派遣軍に集約され日本軍やポルトガル軍は本国へと帰還し、連合国軍占領は終了した。しかしイギリス軍大陸派遣軍の司令部があるブルターニュでは、連合国軍撤退のあとでも占領が続いた。アメリカ大統領ウィルソンはフィラデルフィア宣言?を行って日本とイギリスを批判しブルターニュ占領に反対した。この結果ウィルソンは議会の弾劾裁判によって弾劾され選挙の結果共和党に民主党は歴史的大敗を喫した。アメリカの政変によって支援が充分に得られなくなったと確信した第三共和政は国際連盟?加盟を諦めてラテン協商?を結成した。内戦下でのフランスでは6月16日ボルドーで休戦のための会談が執り行われた。ボルドー会談?の結果。フランス第四共和政はフランス本土の領有をイギリスによって保証された代わりにブルターニュ半島の無期限租借を受諾せざるを得なくなりブルターニュ半島の租借をイギリスに了承することで、アキテーヌ休戦協定は7月9日に締結された。会談の知らせを聞いたチャーチル陸軍大臣は「かの偉大なイングランド王エドワード3世でさえなし得なかった大陸領土領有の保証を我々英国人は成し遂げたのだ。」と発言している。こうしてブルターニュ租借地が成立した。ブルターニュ総督には過去にインド総督を歴任したジョージ・カーゾンが選ばれ、公にグレートブリテン王ジョージ5世が即位することで7月13日にブルターニュ公国が成立した。
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