第一次世界大戦が終結しなかった世界線の歴史wikiです。

ドブロジャ進駐
コンスタンツァに駐屯するブルガリア軍
詳細情報
発生1918年1月18日
結果ドブロジャ公国?の建国
発生地ドブロジャ地方
 ドブロジャ進駐セゲド会談中にブルガリアがルーマニア領のドブロジャ地域に軍を進駐させた事件。この事件後にドブロジャ地域はブルガリアの保護国となった。

背景

 ルーマニア戦線?は1916年までに大方同盟側の勝利で終わっていた。ただルーマニア政権はブカレストが陥落してからもモルダヴィアを中心に維持されていた。転機は1917年7月、二月革命?後政権を握ったケレンスキー?は自身の支持率と政権の盤石化のためにブルシーロフ?らに攻勢?を命令した。結果としてケレンスキーの目論見は失敗し、ロシア軍は壊滅した。ロシア軍の援助を受けられなくなったルーマニア軍は崩壊しフォクシャニ休戦協定を結んで戦争から離脱するに至った。

経緯

 フォクシャニ休戦協定が成立した後、同盟側はルーマニアの処遇に苦慮した。盟主たるドイツにルーマニアを保護する余裕はなく、その他の国は自国のことで一杯だった。比較的余裕のあったブルガリアはなんとかルーマニアの権益を獲得しようと模索していた。

 ルーマニアで革命が起こると同盟側はセゲド会談を開いた。会談ではブルガリアの権益はオーストリアの反対によって認められず会談は一向に進行しなかった。痺れを切らしたブルガリア上層部は予てより主張していたドブロジャに軍隊を進駐させた。会談中の武力行使にオーストリアはじめ同盟諸国は非難したがブルガリアを制する力もなく会談の懐柔のちドブロジャはブルガリアの保護下になることで合意した。結果としてブルガリアの野望は達成された。

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