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テッサロニキ攻略戦
テッサロニキ攻勢で要塞に突撃するブルガリア軍とドイツ軍
詳細情報
戦争テッサロニキ攻略戦
年月1917年4月7日〜1918年8月23日
場所テッサロニキ
結果テッサロニキ陥落、国王派への形勢好転
交戦勢力
ギリシャ王国ギリシャ共和国
ブルガリア王国イギリス王国
ドイツ帝国フランス第三共和政
指導者、指揮官
イオニアス・メタクサスエレフセリオス・ヴェニゼロス

アリスティディス・モライティニス
パウル・フォン・ヒンデンブルク
戦力
7万人5万人
ギリシャ内戦
テッサロニキクーデター?ピレウス・アテネ上陸作戦?テッサロニキ攻略戦アテネ進軍?ドデカネス諸島海戦?クレタ島の戦い?
テッサロニキ攻略戦ギリシャ内戦における戦いで連合国軍のバルカン半島の重要拠点テッサロニキを巡って同盟国軍と連合国軍との間で激しく戦いが繰り広げられた。

背景

 アテネの失陥でコンスタンティヌス1世はトリカラに逃亡すると共和派軍の士気は高まり連合軍によってペロポネソス半島までもが陥落した。

経過

 同盟国軍はコンスタンティヌス1世救出のために戦略的重要目標であるテッサロニキの攻撃を立案した。指揮は東部戦線に配置されていたヒンデンブルクが執り、作戦は4月7日に始められることとなった。作戦通り4月7日、北部からドイツ軍が、東部からブルガリア軍が、テッサロニキに攻勢を仕掛け、北部から攻撃を仕掛けるドイツ軍の右翼は9日、ヴァルダル川を渡ってテッサロニキ西部を抑え、ブルガリア軍左翼もホルティアティス山を超えて南部に回り込んで4月10日までにテッサロニキ包囲に成功した。テッサロニキ攻略戦は8月まで続いたが、23日にテッサロニキはドイツ・ブルガリア同盟軍の激しい攻撃によって陥落した。ヴェニゼロスはドイツ軍によって逮捕され、共和派のギリシャ軍将校も多くが捕虜となった。テッサロニキを失った英仏連合軍は戦意を失い次第に形勢は逆転した。

戦後

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