ロズニツァ条約 | |
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ロズニツァに到着するペータル1世 | |
詳細情報 | |
締結 | 1918年10月26日 |
締約 | オーストリア=ハンガリー帝国?、セルビア王国? |
関連 | 第一次世界大戦 |
代表 | 墺:エルネスト・ケルバー、塞:ペータル1世 |
場所 | ロズニツァ? |
結果 | セルビアの完全独立 |
10月7日から会談は始まりオーストリアは戦勝国としては多すぎる譲歩を行いセルビアとの講和を図った。まずカール1世はボスニア王位の放棄を約束し、セルビアに対する内政不干渉も約束した。ペータル1世は残留セルビア人のために1日も早い終戦を望んでおり、戦争遂行を主張する亡命政府とは決別を選んだ。こうして26日ロズニツァ条約が締結され、セルビアは主権を回復した。
・セルビア王国は戦争以前の領土を回復する。
・セルビア人は完全的に自治を有する
・オーストリア皇帝はボスニア王位を放棄する
・オーストリアはボスニア・ヘルツェゴビナ及びセルビアの領有権を放棄する。
・セルビア軍人は復員する
・セルビア人は完全的に自治を有する
・オーストリア皇帝はボスニア王位を放棄する
・オーストリアはボスニア・ヘルツェゴビナ及びセルビアの領有権を放棄する。
・セルビア軍人は復員する
ペータル1世は条約締結によりセルビア王国の主権回復を宣言し、セルビアは戦争から離脱した。こうした動きを察知していなかった連合国はセルビアの戦争離脱に驚愕した。とりわけ本国政府が設立されてしまった亡命政府は自らの正統性までもを失ってしまった。ペータル1世は議会を停止することで王国政府と亡命政府の関係性を遮断し専制政治を開始した。またセルビア軍人の復員も宣言され、セルビア軍人は投降すれば捕虜としてでは無くそのまま復員することができるようになったため前線でセルビア軍人の投降が相次いだ。亡命政府は名実ともに亡命政府となり最高指導者ニコラ・パシッチは亡命政府の大統領に就任した。
オーストリアとセルビアが単独講和したためドイツなどの共同参戦国は戦争遂行の重要性について疑問視する動きが出た。とりわけ旧帝国の復古を狙っていたブルガリアはセルビア領土の併合が叶わなくなり、代替領土としてテッサロニキを主張したため、11月5日にテッサロニキに進駐した?。また前線でのセルビア軍人投降は情報伝達がないまま全戦線で同時に起こったため捕虜として扱われるセルビア人もでた。これに関しては全ての軍人が3日以内に解放されたため国際問題にはならなかった。
条約のスラブ人自治に関してオーストリア側は開戦前のセルビア王国の完全自治を認めるという趣旨であったが、セルビア側はボスニア・ヘルツェゴビナ?の領有権放棄も相まってこれをセルビア人の完全自治と捉えた。結果的にペータル1世はボスニア・ヘルツェゴビナの領有がオーストリアより許可されたものだと考え、11月7日にボスニア・ヘルツェゴビナの領有を宣言した。オーストリアとしてはボスニア・ヘルツェゴビナは単独独立を意図しており、セルビアの領有権主張に釈明しようとしたが内政不干渉を指摘され、誤解を解くことが出来なかった。またクロアチアはセルビアのボスニア・ヘルツェゴビナ領有の宣言がボスニア・ヘルツェゴビナを空白地帯とすると解釈し、8日にクロアチアもボスニア・ヘルツェゴビナ領有を宣言した。両者は一歩も譲らず、またオーストリアはこれを抑えることが出来なかったためボスニア・ヘルツェゴビナをめぐってセルビアとクロアチアは対立した。これは第一次ユーゴスラビア紛争の勃発に繋がった。
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