第一次世界大戦が終結しなかった世界線の歴史wikiです。

モンスの密書とは1919年3月6日にアルデンヌ公国?のモンスでオランダ労働者党?アントン・ミュッセルト?とアルデンヌ公エルンスト・ルートヴィヒ?との間でモンス会談中に結ばれた機密文書である。

背景

 1920年初頭のアムステルダム革命で右傾化したオランダは民衆の強い支持を受けてベルギーとフランスに宣戦布告した。戦局こそ順調に持ち込んだものの、オランダ軍はレジスタンスに手を焼いていた。
 トュレノーンによって成立したアルデンヌ公国もその例外ではなかった。オランダ政府はフランス系人の抑え込みのためにアルデンヌ公国と共同で対処することを考え3月6日にモンスにアルデンヌ公エルンスト・ルートヴィヒを招き会談を行った。会談ではオランダ代表のアントン・ミュッセルトが第一次世界大戦従軍時の自身の体験を話したところ大変盛り上がったと言われており、彼の巧みな話術も相まって会談中に「モンスの密書」を結ぶことができた。

内容

 モンスの密書は大きな三つの論題について書かれており、それらは『ベルギーの分割』、『対仏戦線構築』、『独蘭同盟』である。
 当時ベルギーのほとんどはオランダが占領しておりアルデンヌ公国は旧フランス領と一部のベルギー領を領有するに留まった。蘭仏戦争でオランダがベルギーを占領するとその境界は曖昧になり両軍にいざこざが発生する可能性があった。アルデンヌ公国との敵対はドイツとの友好を狙うアントンにとっては回避しなければならない点であり、この点ではアントンは占領していたフランデレン地方をアルデンヌ公国に割譲することで、あらかじめ手を打った。
 ヴェルサイユ革命とフランス労働者党のクーデターで右傾化したフランスはオランダにとって将来的な脅威になりえ、アントンはフランスが内戦中にこれらの勢力を叩くべきだと考えていたが本国政府は本格的な侵攻に懐疑的であった。そこでアントンはアルデンヌ公国とフランスに対して共同戦線を張ることで合意し本国を納得させるに至った。
 オランダがフランスと敵対するとなるとやはりドイツは背後からの驚異的な存在になりうる可能性の一つであった。そういう意味でアントンはドイツの動きに警戒しており今回の会談でも度々ドイツのオランダ侵攻計画が無いか疑っていた。アントンはアルデンヌ公エルンストの言質を取って判断し、それが功を成し事実上の独蘭同盟が結ばれた。

その後

 しかしアントンの目論見は大きく外れることとなる。ドイツは自国内の不安で外交に太刀打ちできずストラスブール協定によってフランスと不可侵条約を結んでしまったのである。その条件としてドイツはアルデンヌ公国のフランス割譲であり、オランダが得た土地はフランスに移譲されることとなった。
 奇しくも予想外なドイツの動きに合ってアントンはオランダ国内での求心力を失い、党代表を辞任することとなった。政情不安に陥ったオランダではオランダ労働者党の影響力が低下し、1923年にヘンリー・ヴィンケルマンらオランダ陸軍がハーグ一揆?を起こし実権を握った。軍政下のオランダではアントンら旧政権閣僚は軟禁された。

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