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カバラ宣言とは1918年9月15日にブルガリア王国?が発したザンクトペルテン布告?の支持と帝政復古に関する宣言である

背景

 1918年9月5日にオーストリア=ハンガリー帝国のカール1世は同盟国、連合国に関わらず即時の休戦を求めたザンクトペルテン布告?を行った。この休戦に関心を示したブルガリア政府、特に陸軍軍人のイヴァン・ルコフ?中将はこの布告を支持すべきと主張した。総力戦に迷いがあった軍部はこの布告は支持していたが、フェルディナント1世?国王は戦争継続派であったため、彼らの要求は聞き入れられなかった。
 しかし8日にウラダヤで環境改善を求めて兵士が反乱を起こした(ウラダヤ反乱?)。また翌9日には首都ソフィアで民衆による暴動が発生した。この暴動を指揮したアレクサンダル・スタンボリイスキ?は11日に逃亡先のラドミルで共和政を宣言した。また、ディミタル・ブラゴエフ?はロシア革命と同様に社会主義革命を起こした。こうした国内の反乱運動によって戦争継続は不可能に近かった。

経過

 行き詰まったフェルディナント1世は14日に部下のゲオルギ・トドロフ?に退位を話した。話を聞いた軍部は当時24歳と若かった王子ボリス3世を国王に即位させようとした。しかしボリス3世はイヴァン・ルコフと共に臨海都市カバラに赴いて帝政復古を宣言した。ここにブルガリア帝国が再建され、ボリス3世はビザンツ皇帝ビザンティウス1世を名乗った。こうして皇帝親政によるブルガリア帝国が成立し、ブルガリア国民議会は解散させられた。

宣言文

 私は今日、祖先であるアッティラやアスパルフと同等の地位に上りつめたことを誠に嬉しく思う。私は1人のブルガリア人民として我が祖国の栄光のために忠義を尽くし、聖ブルガールの栄冠を戴くことをここに宣言する。これは諸君ら誇り高き大ブルガリア軍人の努力とその結果の証であり、我は東ローマ皇帝ビザンティウス1世として東ローマに君臨するのである。諸君らは栄光あるビザンツ人民となったのである。

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